ぐだぐだ日記

社会問題から果てはゲームプレイ日記まで様々なジャンルについて語る日記です。

尊い!⇦これ

よくTwitterなどで見かける「尊い」という言葉。絵師のイラストによくリプで尊いとキャラクターが喋ってる画像を貼る人が多い。これは一体どういうことなのかについて考察してみたいと思う。

 

そもそも「尊い」の意味ってなに???

 

辞書で引くと出てくる意味は

 

1.
価値が高い。大切だ。貴重だ。
 「―体験」
2.
身分が高い。敬うべきだ。
 「―お方」

 

という意味で出てくるのがほとんどだ。

 

では、Twitterでもこの意味で使われているのだろうか?

 

weblio辞書からオタクが使う尊いの意味としての記述がある。

 

2010年後半にはサブカルチャー分野を中心に「推しが尊い」というような言い回しで「尊い」の語を用いる言い方が登場し、ネットスラングとして広がった。この「推し」は自分が好きなキャラクター(またはキャラ同士のカップリング)のことであり、そこに見出された価値の高さが「尊い」と表現されているものと捉えられる。

尊い」には自分と対象との間にある種の隔絶があるというニュアンスも汲み取れる。その意味では「推しが尊い」も「萌え」と同様、自分と二次元世界との埋まらない隔たりを無意識的に前提した表現とも解釈し得る。

 

概ねこの解釈には同意だが、本当に使ってる人たちはそういう認識なのだろうか?

 

ここで私の解釈述べよう。

 

オタクが尊いと使うのは(使い手の語彙力の低さや、伝達能力の低さの問題は抜きにして)ハイコンテクストな日本人特有の遠回し的な表現法であり、上手く言語化できない自分の気持ちを「尊い」というフレームに当てはめて使用している。

SF用語のセンスオブワンダーに近いものである。

言うならば、「尊い」とは共通言語ならぬ万能言語であり、複合的な意味が込められておりまた使い手のコンテクストにより意味のニュアンスが変わるため多様化されている。

普通ならば意味が一つにまとまってなく言葉足らずなので相手が本当になにを伝えたいのかわからないはずである。でも、「尊い」の返し方が「わかる」や「それな」などの同意表現なのは単に思考停止なのだろうか?

 

そもそもハイコンテクストとはなにか。

 

「コンテクスト」とはコミュニケーションの基盤である
「言語・共通の知識・体験・価値観・ロジック・嗜好性」などのことです。

ハイコンテクスト文化とはコンテクストの共有性が高い文化のことで、
伝える努力やスキルがなくても、お互いに相手の意図を察しあうことで、
なんとなく通じてしまう環境のことです。

とりわけ日本では、
コンテクストが主に共有時間や共有体験に基づいて形成される傾向が強く、
「同じ釜のメシを食った」仲間同士ではツーカーで気持ちが通じ合うことになります。
ところがその環境が整わないと、今度は一転してコミュニケーションが滞ってしまいます。

このことから、日本においては、
「コミュニケーションの成否は会話ではなく共有するコンテクストの量による」ことと、
「話し手の能力よりも聞き手の能力によるところが大きい」ことがわかります。

 

http://www.pan-nations.co.jp/column_001_005.html

 

ハイコンテクスト文化の顕著な例がこの「尊い」「わかる」「それな」「あっ(察し)」などの言葉だと思う。

 

欧米文化ではローコンテクストであり言語を尊重する風潮である。

 

一方、欧米などのローコンテクスト文化では
コミュニケーションのスタイルと考え方が一変してしまいます。
コンテクストに依存するのではなく、
あくまで言語によりコミュニケーションを図ろうとします。

そのため、言語に対し高い価値と積極的な姿勢を示し、
コミュニケーションに関する諸能力
(論理的思考力、表現力、説明能力、ディベート力、説得力、交渉力)が
重要視されることになります。

 

日本人は議論が苦手とよく聞くが、根本的な問題はこのハイコンテクスト文化にあると思う。そもそも言語化するのが苦手なのだ。コミュニケーション能力が低い人が多いのもこれが関係してるのだと思う。

 

「空気を読む」という言葉や「察しろ」というのは英語にはない。そもそも向こうの文化にない概念だからだ。

 

日本は美徳として「言わなくても空気を読んで意思疎通を図る」「和を以って貴しとなす」という概念が存在している。この考えが日本人の議論力を育てないのだろう。

 

しかし、最近の傾向としてこの考えは崩壊してきていると思う。グローバリズムによって価値観の多様性や、欧米文化の加速など。だがそれでも我々はまだハイコンテクストが根本に染みついている。

ネットの民度の低い人たちの議論(そもそも議論になっていない)を見てみると、自分から喧嘩吹っ掛けておいて、いざ相手から反論がくるとすぐ揚げ足取りになる気質が垣間見える。相手を論破するのが議論ではないのに。要はお互いそもそも議論というのをしたくないのだ。自分が傷つくのを嫌がっている。だからいざ論争が始まるとすぐ逃げ道を作る。

(そもそもネット上は議論するようなものではないと思うが)

 

世界で活躍する日本人はどの人も古典的な日本人ではなく、言うなれば日本人気質ではない。

古くからの型から抜け出した人たちがエリートと呼ばれる人材なのだと私は思う。

歴史や伝統を軽んじるわけではない。その考え方も必要だがそれが足を引っ張るようなスタイルではよくない。ステレオタイプの人間たちがエリートを叩く。出る杭を叩く国なのは、ステレオタイプ人間が古典的な概念から抜け出せないからだ。(他人を誹謗中傷する考えはすぐ言語化できるのにね)

このままではテクノロジーの進化と共に価値観の変化や時代の流れについていけない。

 

話が脱線しまくりだが、このハイコンテクスト文化の問題は深刻化してきているのではないかと投げただけの記事です。