ぐだぐだ日記

社会問題から果てはゲームプレイ日記まで様々なジャンルについて語る日記です。

隠キャと陽キャの違い。

隠キャと陽キャの違いはなんだろうか?みんなよく隠キャ隠キャと他人を馬鹿にする(自傷の意味も含まれているだろうけど)けど隠キャとはなんなのだろうか。

隠キャの本来の意味的には「陰気・根暗な性格を馬鹿にする言葉」である。

しかし現在の使われ方から見ると隠気、根暗関係なく使われてるイメージがある。隠キャという言葉が一人歩きをしており +aで別の意味も付属されている。ガイジ、アスペ、ブス、キモオタ、非モテなどすべて含めて隠キャと呼ばれるようになっている。初出より隠キャというカテゴリーが広くなっている。

さらに使われ方も「〇〇やってるやつは隠キャ!」「〇〇だから隠キャ!」など。

 

 

あまりにも多義語になりすぎて定義しようにも抽象的な意味合いでしかない。そこでこの記事ではもっとわかりやすく定義し、またなぜ隠キャという言葉が流行るのか、そして今の隠キャとはなんなのか考察していきたいと思う。

 

まず、隠キャと陽キャの違いから話そう。

 

隠キャと陽キャの違いは個人的に「属している共同体の数」の違いだろう。

 

共同体とは単純に言ってコミュニティである。

隠キャは属しているコミュニティが少ない。

例えば、隠キャ大学生の例で例えると、

 

大学生の隠キャくん(20) 

属している共同体は「家族」「大学」「バイト先」の三つだけ。また一人暮らしの場合は「家族」はない。

 

大学生の陽キャくん(20)

属している共同体は「家族」「大学」バイト先」「サークル」「SNSでのコミュニティ」「友人達」「地域共同体」「親族関係(血縁)」etc

他にも「飲み会仲間」や「サークル」も複数所属していたりするかもしれない。一人暮らしであっても「恋人」と同棲していればそれも「共同体」である。

 

大学生隠キャくんも「Twitter」というSNSコミュニティをしているがうまく馴染めず仲間外れ。

なぜ馴染めないのかは共同体に関わりを持つ意識があまりないためどう接すればいいかわからないからコミュニケーションが空回りする。

陽キャは属する共同体が多いため、コミュニケーション能力も高まる。

 

そしてこの共同体の数の少なさは単純に陰湿になる、コミュニケーション能力が落ちるだけではない。

考え方や価値観も狭まることが問題なのだ。

一つの共同体には一つの共通の価値観が存在する。コミュニティにはコミュニティの価値観が生まれるのは当たり前のことである。

国と国で文化も価値観も変わるのと同じ理由である。

つまり、多くの共同体に属するということは様々な価値観を持ち合わせるということであり、物事に対する視野も広がりリテラシーも高まる。これが世間一般で言う陽キャが明るく人生を楽しんでいるという認識に繋がる。多様化された価値観を持っているから幸福というものへの追求もしやすいし、自己肯定力も強くなる。ましてや属する共同体で影響力もかなり強くなり自分の発言に対して自分で責任を取る立場にいるなら自分でモノを考える力が養われ、行動力や判断力も成熟される。これがリテラシーの向上に繋がる。

先に言っておくが日本という社会では共同体の数が少ないため皆隠キャ体質になりがちである。

さらに誰もが属する「家族」という共同体では自分の影響力は高まらず、自分の発言や責任というものは存在しない共同体なのでリテラシーや思考力も高まらない。

 

共同体の数が少ない人は価値観や考え方が多様化されず常に普遍的な考え方しかできないし、哲学的思想も育まない。だから、人生とはなんなのか、どう生きるべきか、なぜ生まれてきたのかなどの事を考えそして答えが出ず日々不安を抱えた毎日を生きることになる。

これははっきり言って現在の日本の社会問題であると僕は認識している。別に僕は人間社会学の学者でもなんでもない。Google検索を通じて世界を、見ているニートに過ぎない。

だからこの理論は根拠が薄いし突っ込み放題だろうけど、それでも僕は発信することが大事だと思うからしている。

日本人の多くは隠キャになってきている。

共同体が少ないからだ。日本人は血縁も地縁も弱い。まして宗教共同体も多くの人は持ち合わせない。宗教に依存する人間は馬鹿にされる風潮があるからだ。これはオウム真理教のせいであろう。カルト教団=全宗教という式が成立されている。創価幸福の科学なども。

「家族」もまた崩壊してきている。戦前の「大家族」というあり方は崩れて核家族化、一人暮らしなどが当たり前のようになってきている。

つまり共同体に属さないという「旅人」も決して有り得ないことではないということだ。

そしてSNSコミュニティも最近のTwitterの流れが異常だと僕は思う。

SNSコミュニティは「Twitter」の話限定にしておく。FacebookInstagramはそもそもリアルフレンドとのつながりを強めるモノであると僕は考えている。純粋にネットから知り合った人間と繋がるSNSコミュニティは「Twitter」くらいだと思う。日本においては。

だから「Twitter」に限定された話をする。

 

Twitterはネットコミュニティを作るサービスとしては最高のモノである。しかし最近このコミュニティを作るというモノが壊れてきている。

単純にいうと「旅人」が増えている。界隈に属しようとしない人たちが多いことだ。

そして、Twitter内での界隈などのコミュニティを馬鹿にする風潮や「俺はコミュニティになんか属さない」という価値観の形成、さらに「Twitter」の晒し文化や他人の界隈の悪口を言い、界隈そのもの批判が増えている。

界隈に属することを恥と捉えている。これがまた隠キャを増加させる一つの減少になっている。そのくせに隠キャ叩きは増加している。

なぜなのか。それは炎上文化もまた関係している。

リアル社会や共同体というモノにうんざりしている人が増えていてストレス社会の一つの要因になっている。この感情のフラストレーションとして炎上叩きが効果的であり、炎上が大衆に消費されるコンテンツと化している。

クロちゃんとかもアレは絶対わざとネタでやってるものだがガチでやってると捉えてクロちゃんを批判しているだろう。

炎上とは普通、非日常的なモノであるのに炎上が多くなりすぎて、日常の一つの行事として組み込まれている。

 

炎上が増加する原因として、まず非日常を好むのが人の心理としてあるのと、その注目されて金を稼ぐビジネスが増えたから。youtuberやまとめブログなどpv数に応じて金を得る仕事は炎上させて金を得るというあり方になってきている。そのため普通にネットに関わっている人たちはどんどん非日常的な炎上文化をほぼ毎日といっていいほどに味わい、いつしか消費されていく大衆コンテンツになった。それはリアルでも反映されており、クロちゃんもその一つの例である。

 

またTwitterリツイート機能により拡散させやすいコンテンツなのでさらに増加させたとも考えられる。

この炎上文化のテーゼとして偽善者も増加しているのだ。

 

話を戻そう。

とにかく隠キャを脱するには「共同体」を増やすしかない。しかし、日本には少ない。

ネットコミュニティも崩壊しかけてる。

また共同体の内部問題も起きている。

それは世界のトレンドとしてグローバリズムからナショナリズムへの移行もこの問題である。

みんな他者という存在やコミュニティなどに疲れている。

他者を大事にするという訴えも聴く人はいない。

他コミュニティの批判もよく起きている。

共同体を増加すること、それが今後の課題になっていくだろう。